2007年01月06日
最初の夢
同じ部署の中で、年齢も近かった人も、同じ時に退社する事になった。
プライベートでも仲良くしていたので、退職後こんな仕事をしたい、というような話をしていたら、「いいね、いいね」と乗り気。
じゃぁ、2人で始めようか・・・
その頃描いていた夢。
・お年寄り、障害のある人の助けになるような仕事
・環境に配慮した洗剤をしようした、エコクリーニング。
・女性である事を最大限に生かして、定期清掃・一般家庭を中心にする。
かなり大まか過ぎるけど、そんな風に考えていた。
そんなこたぁ、甘い、甘いって後で判ったけど・・・
それで会社の名前なんか考えて、私もその人も丸顔だったんで、その名も「まんまるカンパニー」(笑)
でも、結構親しみ易くて、良い名前だと思うんだけどな。
ユニフォームは、ヒッコリーのオーバーオールに、ワークシャツ。
どっちかと言うと、東京ディズニーランドのカストーディアル風?
あちらは、白のつなぎでしたっけ?
まぁ、夢なんで、かなりいい加減な事を思っていた。
当初は、どこか(たとえばDスキンなど)でアルバイトをして、技術的な事を学ぼうかと思ったりもした。
だけど、道具一つとっても、何を揃えたら良いのか分からないし、ホントに何一つ判っちゃいなかったので、ひたすらネットを彷徨っていた。
でも、きっかけはアナログ。
新聞折込の求人案内の記事の中に、Oそうじ本舗の開業セミナーの案内があったのです。
それも、我が家のベランダから見える、すぐそばの場所で。
行ってみよう。聞いてこよう。
でも、騙されないようにしなくちゃ。(笑)
↓あの時、このノウハウ書があれば・・・
ハウスクリーニング起業塾
どうやって始めたらいいの?
「ハウスクリーニング」の仕事をしてみよう、と思っては見たものの、一体どうやって始めれば良いのか。
最初に思った事は、技術的な事はどこで教わったら良いんだろう。
「どこかで教わる」今となっては、まるっきり受け身な発想〜
サラリーマン生活の弊害?セミナーなんかで教わるものだと、頭から思ってた。
あれこれネットで検索していたら、「お金をかけないで開業する方法」なんてのもあったけど、その頃は無料DLのノウハウ書なんて、怖くてDLできなかったんですね。
無料でなんて、怪しい・・・と思っていたから。
試しに「ハウスクリーニング」と検索してみると、出てくる知った名前の会社。
ハウスクリーニングの代名詞とも言える「Dスキン」
でもその頃から、「Dスキン」は綺麗にならない、ってな噂を聞いていたし、とにかく開業資金がかかる!
却下!
次に「Oそうじ本舗」。
あ、この和な感じの名前、いいかも!
開業資金もDスキンほどかからないし。
ちょっと頭の中のメモ帳にメモっとこう。
↓あの時、このノウハウ書があれば・・・
ハウスクリーニング起業塾
2007年01月02日
あの時、このノウハウ書があれば・・・
ハウスクリーニング起業塾
簡単に起業出来る、そんな希望を持って始めたハウスクリーニング
の独立開業そして、苦しいだけで、決して楽にならない生活
そうしたハウスクリーニング屋を多数見てきました
もしも、あなたが明日の仕事を心配するような身だったら
もしもあなたが、高額なフランチャイズで安易に独立開業をしようと
思ったら
もしも、あなたが成功への道を最速で駆け上がりたいなら私たちは、
応援します
本当のプロが贈る
本当の実績が物語る
ハウスクリーニング研究会OB四天王が明かす
絶対に失敗しない独立開業
今、扉を開くのは、決して勇気ではない
あなたの歩もうとする道は、もう既に成功への道なのです
独立開業者は、常に明日の仕事の心配をしています。
今は、忙しいけど来月はわからない、今月は何とか乗り切ったけど
先々が心配
そうして、大手の下に入り安い金額で賃貸の入退室のハウスクリー
ニングをやったりします。
遊ぶよりは、安くてもいいや。
また、行きたくもない不動産屋の営業に回って、煙たがられ、お願い
営業を続けます。
出てくるのは愚痴ばかり
日本人の平均年収も稼げません。
もう、そんな独立開業はやめましょう。
あなたは、チラシ配りをするために、米つきバッタのように頭を下げるために独立したわけではないのです。
簡単に起業出来る、そんな希望を持って始めたハウスクリーニング
の独立開業そして、苦しいだけで、決して楽にならない生活
そうしたハウスクリーニング屋を多数見てきました
もしも、あなたが明日の仕事を心配するような身だったら
もしもあなたが、高額なフランチャイズで安易に独立開業をしようと
思ったら
もしも、あなたが成功への道を最速で駆け上がりたいなら私たちは、
応援します
本当のプロが贈る
本当の実績が物語る
ハウスクリーニング研究会OB四天王が明かす
絶対に失敗しない独立開業
今、扉を開くのは、決して勇気ではない
あなたの歩もうとする道は、もう既に成功への道なのです
独立開業者は、常に明日の仕事の心配をしています。
今は、忙しいけど来月はわからない、今月は何とか乗り切ったけど
先々が心配
そうして、大手の下に入り安い金額で賃貸の入退室のハウスクリー
ニングをやったりします。
遊ぶよりは、安くてもいいや。
また、行きたくもない不動産屋の営業に回って、煙たがられ、お願い
営業を続けます。
出てくるのは愚痴ばかり
日本人の平均年収も稼げません。
もう、そんな独立開業はやめましょう。
あなたは、チラシ配りをするために、米つきバッタのように頭を下げるために独立したわけではないのです。
2006年10月16日
会社を辞めよう! 2
なんでハウスクリーニングという仕事をやってみようと思ったのか・・・
なんででしょうね?
今になって、良く主人からも「なんでこの仕事なの?」って聞かれるんですが、う〜ん何故?
TVの奥様向け情報番組で、年末になると「キッチンの頑固な汚れをプロの手で」とか「プロが教える掃除の裏ワザ」なんてのを見るのは好きだった。
頑固な汚れは、割り箸をナナメに切って、なんて聞くとすぐやってたし。
特に掃除が好きって訳じゃないけど、そういうワザを駆使するのは、好きだったんですね。
ある時、SM○PのN居クンが、お掃除のプロのお手伝いをする、というのがあって、その時のプロの人が、女性だった。
一般家庭の窓掃除と、床のワックス掛けをしていた。
ユニフォームも可愛らしく、さっさか動く姿も、いろんな道具を使いこなして、汚れを落としていく姿も良かった。
あ、この仕事、やりたいな、って。
冗談で、この年で会社辞めたら、掃除のオバチャン位しか出来ないかもね〜なんて言ってた。
そう、掃除=オバチャンの仕事。
実際、会社の中でも沢山のお掃除のオバチャンが働いていたっけ。
頭に三角巾、薄いブルーの上っ張りと、ズボン。ズックを履いて。
ん〜そういうイメージかぁ・・・
そんな風に思っていた時に、そのN居クンの番組の事を思い出した。
最近、多少耳にするようになった「ハウスクリーニング」という仕事。
これって、いいかも。
会社を辞めよう! 1
会社を辞めるまでの面接で、結構思い切った事を言ってしまった。
「自分達が辞めた事で、会社が立ち直ったとしたら、悔しい」
「自分達が辞めたのに、ダメになってしまったら、悔しい」
「一代決心をして辞めたのに、会社がダメになって、ざまあ見ろ、なんて自分が思ったりしたら、それはイヤだ」
なんだか、支離滅裂な混乱した事を口走っていた感じだ。
面接していた課長は若かったので、対象者じゃないから、なんと思っていたか判らないけど、課長達は課長達で、ノルマ(部署毎の割り当て人数)を課せられていて、ダメなら自分が辞めなきゃならない、みたいな状況だったらしい。
その時は、まだなんとか仕事あるかなぁ〜なんて思っていたんだけど・・・
実際、退職すると決めて、再就職セミナーに出てみたら、会社は退職後の面倒なんてまったく見てくれなくて、再就職先として候補に挙がっていたのは、男性対象ばかりだったし、それも数は少なかった。
結局男性は、それまでの仕事の知識や経験を生かして、関連子会社に行きたかったりで、その辺が再就職の際に、ネックになるのかな。
あと、収入面が大きいみたいだった。
家族を養ってるからね〜と。
でも、それは女性だって、独身で実家通勤の人以外は、同じだよね。
女性社員は、一般事務とは言っても、生保独自の知識だし、会計処理にしても会社内部でのシステムだし、パソコンも同様だし、他じゃ使えないのかな。
でも、それって、他のシステムにも、馴染み易いって事。
どこでも潜り込めるかな、なんて思っていたけど、やっぱりね、年齢の壁が立ちはだかったのです。
2006年10月03日
会社をリストラ?その時。10
本社勤務になってから、最初の「希望退職」の募集があった。
私は、家のローンもあるし、再就職も難しいだろうからと、まったく頭に無く、また、まだ女子社員は対象外だった。
会社がヤバイかも〜?なんて噂が出た後、希望退職対象外の若い人が見切りを付けて、辞めていった。
将来を期待されていた優秀な人も、「自分を試したいから」と挨拶に来てくれて、辞めていった。
20代の人だった。まだ幾らでも、仕事探せるものね。
その後、対象年齢がどんどん引き下げられ、女子社員も対象となった。
定年退職まであと2年とか、1年とかの人も、まってはくれず、なかば強制的に希望退職制度に同意させられた。
会社の男性社員の中には、自分の出身大学に妙に自信を持っている人がいて、「自分は東○大学卒だから」会社も必要としてくれている、と思っている人がいた。
でも、この希望退職制度は、会社の存亡を賭けたものだったから、個人の能力とか、どこ大出身だからとか、何々が出来るから、なんて一切関係なかった。
とにかく、年齢で切られた。
まず、課長とか、部長と面接をして、1回、2回と意志を確認される。
考える期間は、1ヶ月位だったろうか・・・
毎日、毎日、頭の中は、その事でいっぱいだった。
希望退職すれば、退職金は上乗せされて、これだけ払いますよ。なんて通知をもらい、一緒に「退職届」を渡される。
辞めた後の仕事の事、家のローン、生活費、会社に残った後の処遇・・・色々考えた。
前述の、出身大学にこだわっていた男性は、いやがらせ人事で地方へ行った。そして、さらに応じなかったので、半年でまた異動された・・・
私はそれが怖かった。
通勤に2時間かかっているサラリーマンは、ごまんといるだろう。
でも、家に帰れば主婦としての仕事をしなくてはならない身にとって、それは大きな問題だった。
本社までの通勤時間は、ほぼ1時間。電車でも座って行けたので、体力的には大丈夫だった。ほぼ定時退社だったし。
それを、さらに1時間多くかかる場所へ異動されられたら、ちょっと厳しい。そこへ異動させられる、という確信はないけど、させられない、という保障もないわけで。
希望退職制度に同意する事にした。
会社をリストラ?その時。9
会社に入って、学生の時より年がら年中試験を受けていた気がする。
業界の統一資格試験やら、自己啓発のセミナーやら、通信教育、それらは「私は自分の能力を高める為に、こんなに努力してますよ」と会社側に知らしめる為に行う。
昇進の為に、この資格を持っていなくてはいけない、というものもある。
結局持っていても、給料は下がっていったけど。
会社の経営そのものが、ヤバクなっていたんだから、仕方ないよね。
病院を退院してから、その営業所も含めて、営業所を3ヶ所、支社を1ヶ所、統括支社(いくつかの支社を統合したもの)1ヶ所を経験し、最終的に退職時には、本社にいた。
入社してから、私が所属した部署は、全て統合や廃止でその店舗がなくなったり、他の店舗に移ったりしている。
冗談で、「本社にだけはいくな」と言われていたけど、とうとう本社勤務になり、国内生保で、もっとも危ない会社と言われ続けて、今に至っている。
でも、私がいた本社社屋は、取り壊されて、もう無い。ジンクスは生きていた?!
入社時、業績表にあった「大手5社」が、いつのまにか7社になり、そのうち、そんな表現をしなくない、今は外資系の台頭もあり、ベストテン外になっているらしい。
会社に入って、何がイヤだったって、人事異動がイヤだった。
仕事そのものは、何処に行っても(ほぼ)同じだから、良いけど、せっかく作り上げた“巣”を、また1から作り直さなくてはならない。
一日のほとんどを過ごす会社。自分のデスク。
前任者の痕跡を無くし、自分の使い勝手の良いデスクまわり、事務室まわりにするには、忙しい仕事の合間をぬったり、夜遅くまでガタガタと備品を動かしたりしなくてはならず、結構な労力を使ったものだ。
それは、毎日快適に仕事をする為に、一番に必要な事だったから、赴任すると、その日にとりかかっていた。
そうしないと、書類1種類捜すのに、無駄な時間を使う事になるから。
のちに、かなりペーパーレス化を推進したけど、生保って紙を消費する業界だから、書類の数、パンフレット、チラシなど、毎年沢山の予算が使われていた。
それらを管理するのも、大切な仕事のひとつだった。
でも、そんな事は、イヤな理由のほんの一部だったかもしれない。
「適材適所」なんて言って動かされるけど、何の事はない、上の人間が使いやすい人を周りに集める為の手段に過ぎない。
使いづらいヤツだと思われてしまえば、即異動だ。
人事異動=ひとごと異動。
上司だって、自分が可愛いから、他人の事なんかかまっていられないよね。
人は、自分の事は2割増しに良く評価するものであるらしい、だから、ふいの人事異動に、「なんで私が」「どうして私なの」と、思う。
結局、好き嫌い人事なんだから、好かれてないだけなんだよね。
でも、部下の仕事の内容も知らない人間、ろくに書類も見ずに盲印を押しているだけの人に、その人の能力の何が判ると言うんだろう。
だから結局、好きか、キライかで決めるしかないんだろうね。
2006年10月02日
会社をリストラ?その時。8
とにかく、職場復帰をして、新しい組織の皆さんには、一番名前を知られた存在となり、3ヶ月遅れで、新しい人間関係とも馴染んでいった。
特に、営業所長同士が仲が良く、飲み会やらカラオケ大会やら、年中集まっていた人達とは、会社を辞めた今でも、お付き合いがある。
私の入院をきっかけに、営業所同士、横の繋がりを強めて、何かの時には、支社など頼らず、助け合って行く。
その為には、日頃から交流を持っておこう、と所長達が考えたらしい。
月に1度位、皆で食事して、カラオケ行って・・・
時には、事務職員だけで集まって、食事に行ったり。
今となれば、笑い話、って感じで、私の入院中の裏話を聞くと、あぁ本当に皆さんに迷惑を掛けたんだなぁ、って実感が湧いた。
でも、仕事をしてから、そういった飲み会に出るのは、正直しんどい時があって、いつも1次会で失礼する事が多かった。
ある時、たまたま2次会まで残ってみた。
そしたら、かなり後になって聞いたんだけど、私の所の所長が「あぁ、良かった。やっと○○さん(私)が、2次会まで来てくれた〜」と、大層喜んでいたんだそうだ。
彼の目には、私が1次会で帰る事が、「皆に馴染んでない」と映っていたみたい。
「そうじゃないんだよ。体がキツイんだよ。」と、心の中でつぶやいた。
体が丈夫で、子供の頃からスポーツをやっていて、体力に自信のある人、病気知らずの人には、判らないかもしれない。
1度大きな病気をした人にとって、それがどれだけ体力を奪うものなのか。
私が皆と親しくなる事を喜んでくれた営業所長に対して、「そんな風に心配してくれていたんだ。」と思う感謝の気持ちと、「そうじゃないんだけど。なんで判ってくれないの」という残念な気持ちが残って、それは今でも気持ちの隅っこに残ったままになっている。
会社をリストラ?その時。7
そんなに意識した訳じゃないけど、その入院がきっかけには、なっていると思う。
会社に対して、仕事に対して、少し引いて考えるようになったかな?
だって、過去どんなに真面目に仕事をしていようと、入院なんて時に、会社って、非常に冷たいんだな、って思ったし。
どこの会社も同じようなものなんでしょうけどね。
特に私の場合、会社の再編で、私の事を良く知らない人達の中で、入院という事態になってしまったし、一緒に働く子は、新卒だったし、営業所長も所長1年生だったから、営業所中てんやわんやだったんでしょう。
その辺は、私も、慣れない所長さんのお手伝いが、まったく出来なかった事は、申し訳なく思ってました。
とにかく、この入院をきっかけに、「ほどほど」と「自分が大事」って事を覚えました。
それまでは、仕事が終わらなければ、家に持って帰っても終わらせていたし、無理は承知でアレコレやって来ていたから。
もう、仕事は会社にいる間だけ。(当たり前か)
なるべく定時で帰ろう。
自分の(仕事の)代わりは、幾らでもいる。
でも、自分にとって、自分の代わりはいないから、自分を大切に。
そんな風に考えるようになった。
結局、体力の衰えを感じて、無理は出来ない、と悟ったって事。
それまで、大きな病気はした事ないし、入院なんかも初めて。
筋力とかは、運動をしていた訳じゃないので、もともと自信はなかったけど、体力はあるほうだと思ってたんですよ。
だけど、この病気を境に、ホント、無理できなくなった。 特に、退院直後は。(これも当たり前か)
会社をリストラ?その時。6
まだ、休職中なのに、結局出社してしまえば、大丈夫なんだろうと思われる。
それだけ、人員がギリギリで、仕事が回って行かないって事なんだろうけど。
あんまりだなぁ、と思った。
私は現場の様子を見ていないから、意外とのんびりしていて、でも、営業所長なんかは、アチコチ気を使って、ハラハラしていたみたい。 「お手伝いに来てくれた、各営業所に挨拶に行かないと」と言って、車を出してくれた。
でもね、退院してから残業続きで、お礼の品物を買いに行くのも、大変だったんだよ〜
健康な時には、気付きもしなかった、自分の体力の無さ。
営業所は、7ヶ所か8ヶ所?あったと思うんだけど、その時に初めて顔を見る人もいた。
「あ〜退院したのね。大丈夫?無理しないでね。」なんて、優しい言葉をかけてくれる人もいれば、入り口で挨拶しても、話しかけても、「私は今、忙しいのよ!」オーラを出して、まったく口を聞いてくれない人など、様々。
後で聞いたら、その人が一番大変だった人らしい。
でも・・・ちょっと、大人げないかな〜なんて、思ったりして。
難しいよね。こういう、人間関係が一番。
こう言っちゃなんだけど、私の不注意で病気になった、と言う訳じゃないし。
ま、皆が忙しくしている間に、私は毎日ゲームボーイ三昧だった事は、本当だけどさ。